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旅から帰ってきましたら、大変お世話になっている方から、とかち新聞のコピーが届いていました。 昭和51年8月15日発行の775号と同年8月25日発行の776号。 なぜこんな年代の新聞かと言いますと、2月11日のブログ記事のコメントに戻りますが、『あまから家族』についての内容が、この2号にわたり掲載されていたので皆様にもお伝えしたいと思いました。 詳細は長くなるので、コメント欄にて書きたいと思います。
by よしくん
775号<主筆の室>より
テレビ出演の第一回は昭和47年7月2日放送のNHK「ローカル新聞の眼」、第二回は昭和48年11月12日放送のSTV「二時のワイドショー・たった一人の新聞」、第三回は昭和50年12月21日放送の「佐藤愛子のがんばり人生・ミニコミ奮闘記」でした。 これらはいずれも道内制作の道内放送でしたが、今度は日本テレビから声がかかって道内制作全国放送となったわけですが、系列局のSTVホールを会場にして、公開録画が行われました。 当日午後二時から打ち合わせと言うので、筆者(父・明)、妻の美代、長女絵里子、次男明人の四人が朝一番列車で出札、毎週のラジオ出演のため先発していた長男の千春が車で迎えにきて指定のホテルへ。 この日の番組は、「蝶々のあまから家族 たった一人の新聞社」で、司会のミヤコ蝶々、湯原昌幸はともに三枚目で、新聞とかローカル新聞などの役割にはあまり関心はないようで、こちらとハダは合わないものの、筆者が新聞記者のカケ出しから、一転して劇作家を志し、戦前戦後を通じて楽劇団を組織して全国を巡演した当時の事も飛び出したので、読者各位には意外な感じを与えることになりそうです。 出演が決まってからは毎日のように日本テレビから電話連絡があって、一応放送台本を作って当日渡され、文字に弱い?蝶々の分にはふりがな付きでしたが、いざ本番ともなれば公開であり客席の拍手や笑い声に調子を合わせた形で、ほとんど台本を無視したアドリブ。 長男の千春は、筆者の新聞事業よりも芸能活動の方を引き継いだ格好、毎週日曜日の正午から三時までのSTVラジオのサンデー・ジャンボスペシャルの中で、「千春のひとりうた」のコーナーを持たされ、孤軍奮闘中です。
投稿: よしくん | 2009年2月26日 (木) 19時54分
776号<主筆の室>より
ミヤコ蝶々の「あまから家族」の公開録画がはじまり、 『次のあまからさんは、十勝の足寄町からいらした松山さんご一家・・・』と、五人の家族を紹介しながら、歌手の湯原昌幸とともに、『え~名前やなぁ、みんな』と感心。 筆者が少年時代からものをかいて生活することを目標に新聞記者になったものの、日本で一、二の大新聞でも景品付の押し売り競争ぶりにイヤ気がさして劇作家をめざして劇団に入り、自分の楽劇団を持って全国を巡演中に妻との出合いから、戦後は再び新聞記者に戻ってワンマン新聞に生きがいを見出している現状までを、正味十分間程度で出演者七名が話し合うのだからカケ足。 筆者が言いたかったのは、芸能人の時は芸能人らしくない生き方、新聞記者の時は新聞記者らしくない生き方で貫きたいということで、それはどういう生き方かと言えば、筆者が暮らしてきた芸能界、新聞界の教訓でもある事。
投稿: よしくん | 2009年2月26日 (木) 20時23分
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775号<主筆の室>より
テレビ出演の第一回は昭和47年7月2日放送のNHK「ローカル新聞の眼」、第二回は昭和48年11月12日放送のSTV「二時のワイドショー・たった一人の新聞」、第三回は昭和50年12月21日放送の「佐藤愛子のがんばり人生・ミニコミ奮闘記」でした。
これらはいずれも道内制作の道内放送でしたが、今度は日本テレビから声がかかって道内制作全国放送となったわけですが、系列局のSTVホールを会場にして、公開録画が行われました。
当日午後二時から打ち合わせと言うので、筆者(父・明)、妻の美代、長女絵里子、次男明人の四人が朝一番列車で出札、毎週のラジオ出演のため先発していた長男の千春が車で迎えにきて指定のホテルへ。
この日の番組は、「蝶々のあまから家族 たった一人の新聞社」で、司会のミヤコ蝶々、湯原昌幸はともに三枚目で、新聞とかローカル新聞などの役割にはあまり関心はないようで、こちらとハダは合わないものの、筆者が新聞記者のカケ出しから、一転して劇作家を志し、戦前戦後を通じて楽劇団を組織して全国を巡演した当時の事も飛び出したので、読者各位には意外な感じを与えることになりそうです。
出演が決まってからは毎日のように日本テレビから電話連絡があって、一応放送台本を作って当日渡され、文字に弱い?蝶々の分にはふりがな付きでしたが、いざ本番ともなれば公開であり客席の拍手や笑い声に調子を合わせた形で、ほとんど台本を無視したアドリブ。
長男の千春は、筆者の新聞事業よりも芸能活動の方を引き継いだ格好、毎週日曜日の正午から三時までのSTVラジオのサンデー・ジャンボスペシャルの中で、「千春のひとりうた」のコーナーを持たされ、孤軍奮闘中です。
投稿: よしくん | 2009年2月26日 (木) 19時54分
776号<主筆の室>より
ミヤコ蝶々の「あまから家族」の公開録画がはじまり、
『次のあまからさんは、十勝の足寄町からいらした松山さんご一家・・・』と、五人の家族を紹介しながら、歌手の湯原昌幸とともに、『え~名前やなぁ、みんな』と感心。
筆者が少年時代からものをかいて生活することを目標に新聞記者になったものの、日本で一、二の大新聞でも景品付の押し売り競争ぶりにイヤ気がさして劇作家をめざして劇団に入り、自分の楽劇団を持って全国を巡演中に妻との出合いから、戦後は再び新聞記者に戻ってワンマン新聞に生きがいを見出している現状までを、正味十分間程度で出演者七名が話し合うのだからカケ足。
筆者が言いたかったのは、芸能人の時は芸能人らしくない生き方、新聞記者の時は新聞記者らしくない生き方で貫きたいということで、それはどういう生き方かと言えば、筆者が暮らしてきた芸能界、新聞界の教訓でもある事。
投稿: よしくん | 2009年2月26日 (木) 20時23分