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今夜もリアルタイムにお伝えしたいと思います♪
by よしくん
8/23 放送分より
皆さま、お元気でいらっしゃいますか? 松山千春です。 今回も、札幌STVラジオからお届けです。 今日も、メールをお待ちしております。 radio@matsuyamachiharu.com
聴取者からのメール。
残暑、酷暑、集中豪雨、落雷。 雷は怖いよな。
新型コロナウイルス感染症、なかなか感染者数が減らない。 高齢者の重症化。 脇が甘くなってきてるのかな。 ウイルスは人から人へ。
自己責任って言葉は合わない。 自己管理。 法律にできないマナー道徳は自己管理だろう。
自己管理が行かないんだろう。 皆さんどうか頑張って、管理してほしい。 感染しないよう願うばかりです。
竹田健二さん、8月27日が命日です。 生きていれば79歳。
45年以上前、フォーク音楽祭。 北見でバーテン、免許取得。 1975年、昭和50年、まだ19歳。 3月にフォーク音楽祭の一次予選。 道東のコンテスト予選。 帯広青少年会館。 そこで、初めて、STVラジオのディレクター竹田さんに会った。
自分の持ち歌を披露する。
ユハラヨシタカ氏にギターを教えてもらい。
3月帯広青少年会館で、「旅立ち」を歌いました。
竹田さんが審査委員長で、 松山くん、ギターがボロっちいね。 カチンと来て、これはフォークのコンテストですよね。 ギターの品評会ではないですよね。 歌はどうだったんですか。
では、コピー曲を歌ってくれないか。
選んだのが、伊勢正三、風というグループの、
♪22才の別れ 風
<CM>
この世界に入るきっかけになったのは、フォーク音楽祭。
帯広予選は通った。 2次予選は、STVホールで。 この2次予選に、コマツハジメ氏と一緒に行って、審査委員長の竹田さんが、譜面を見ないで歌うと得点が上がる。 見ないで歌って見るから。 そしたら、2番と3番の詞を逆に歌ってしまった。 竹田さんに、2番と3番の詞が変わると、意味が変わる。 もう一度、歌詞カード見ながら歌いました。 これも通った。
そして、北海道大会。 5月9日、中島スポーツセンター。
総合司会が、かまやつさん。
5月8日、足寄から車で札幌に向かいました。 夜中に着いたんだけど、タクシーとぶつかってしまった。 夜中に事情聴取。 話がまとまらないので、明日の8時から。 明日は、フォーク音楽祭の北海道大会があって、10時からリハーサル。
では、道警から責任者に連絡させますから。
昼の12時位に開放されて、1台のパトカーが、中央署から会場まで先導してもらった。 たくさんのお客さんが待ってるところに、パトカー先導で入ってきた。 松山千春が出てきた瞬間、客は引いた。
プロのリハが始まっていて、そのリハの合間に、リハをやった。
♪港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ (ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
5月9日、10組のグループ。 2組が全国大会に。 全国大会に行けなかった。
帰り際に、竹田さんから、今度ラジオやらないか、今度連絡する。
今思えば、何もかもが楽しかった。 ゲストには、正やんもいたし、チューリップもいた。 かまやつさんは、その時のことはしっかり覚えてると。
♪サボテンの花 (チューリップ)
フォーク音楽祭、北海道大会、昭和50年5月9日。 竹田さんがいつかラジオをやってみないか。 口約束。 足寄に帰って、親父の仕事を手伝っていた。 翌年、4月からSTVラジオで、サンデージャンボスペシャルが始まる。 その中で、15分、千春のコーナーを作るから、毎週2曲作ってくるように。 最初スタジオで、ギターをセットしてもらって、 「竹田さん、俺、しゃべり苦手ですよ」 「普段の千春くんのしゃべり方でいいよ」 毎週2曲づつ、足寄から通いながら歌ってました。 車だったり、夜行列車だったり。 帯広駅で、色んな子たちが、「がんばってね~」 帯広から4時間くらい。
足寄に帰っては、新しい曲を2曲作って。 その年の秋に、レコーディング。 当時、STVの上層部は皆反対。 竹田さんは、退職金を前借りして、頭を下げて、「旅立ち」で昭和52年1月25日デビューが決まった。
人と人とが巡り合う。 その人が、自分の将来を決定づける。
その年の、8月8日、北海道厚生年金会館でコンサート。 27日函館市民会館。 竹田さんと一緒に、STVで待ち合わせをして行くことになってました。 俺は来たけど、竹田さんは亡くなった。 すぐに竹田さんの家に行って、その後は、わからない状態でした。 けどみんな、人とは出会うべきです。 出会いがあるからこそ、別れもある。 いつでも、竹田さんは俺を見守ってくれてると思ってます。 あなたの言うような立派な松山ではないかもしれないけど、 今夜もこうしてラジオで頑張っています。 ありがとうございます。
♪旅立ち (松山千春)
投稿: よしくん | 2020年8月23日 (日) 06時38分
よしくんさん いつも有難うございます 竹田さんが生きていれば79才なんて月日の流れを感じます 千春さんは義理がたく昔からぶれないな~と思います 私はその昔、九州にいながらお父様の、とかち新聞を定期購読していたし、年賀状を出すと家族写真のポストカードをお父様が直筆で返して下さってました そんな良き時代が懐かしいです 何とかコロナが収束して、安心して千春さんに会える日がくればいいなあ!と心から願っています ここの場があって本当に有難いです
投稿: 千春大好き | 2020年8月24日 (月) 01時47分
千春大好きさんへ 本当に、もう松山千春の親類みたいですね。何とも羨ましい限り……😊父明さんの直筆の年賀状は家宝でしょうね。大切にされてくださいませ。素敵な記事を有難うございます。
よしくんさんへ 本当に、長い間、松山千春の事ばかりではなく、ファンとファンとの交流となる場を与えて頂いて感謝です。どうか、時節柄、ご自愛くださいませ。
投稿: ジュン | 2020年8月24日 (月) 08時59分
素敵な千春さんファンの皆さんのメッセージに、元気をいただきました。ありがとうございます。
投稿: リボン | 2020年8月24日 (月) 19時05分
よしくんさん 初めてコメントします。
【旅立ち】は聴きようによっては千春さんが竹田さんに 向かって歌っているようにも思えます...。
毎週、毎週NACK5の内容アップありがとうございます。
投稿: 穏やかな一日を見送れば夕焼け | 2020年8月26日 (水) 06時50分
8月27日竹田さんのご命日ですね。もう少しだけ、松山千春を見守ってくださいませ。合掌。
投稿: ジュン | 2020年8月27日 (木) 12時24分
竹田さん、千春さんと出会わせてくださり、本当に、ありがとうございます。千春さん、元気に、がんばっておられますよ。安心してくださいね。
投稿: リボン | 2020年8月27日 (木) 20時04分
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8/23 放送分より
皆さま、お元気でいらっしゃいますか?
松山千春です。
今回も、札幌STVラジオからお届けです。
今日も、メールをお待ちしております。
radio@matsuyamachiharu.com
聴取者からのメール。
残暑、酷暑、集中豪雨、落雷。
雷は怖いよな。
新型コロナウイルス感染症、なかなか感染者数が減らない。
高齢者の重症化。
脇が甘くなってきてるのかな。
ウイルスは人から人へ。
自己責任って言葉は合わない。
自己管理。
法律にできないマナー道徳は自己管理だろう。
自己管理が行かないんだろう。
皆さんどうか頑張って、管理してほしい。
感染しないよう願うばかりです。
竹田健二さん、8月27日が命日です。
生きていれば79歳。
45年以上前、フォーク音楽祭。
北見でバーテン、免許取得。
1975年、昭和50年、まだ19歳。
3月にフォーク音楽祭の一次予選。
道東のコンテスト予選。
帯広青少年会館。
そこで、初めて、STVラジオのディレクター竹田さんに会った。
自分の持ち歌を披露する。
ユハラヨシタカ氏にギターを教えてもらい。
3月帯広青少年会館で、「旅立ち」を歌いました。
竹田さんが審査委員長で、
松山くん、ギターがボロっちいね。
カチンと来て、これはフォークのコンテストですよね。
ギターの品評会ではないですよね。
歌はどうだったんですか。
では、コピー曲を歌ってくれないか。
選んだのが、伊勢正三、風というグループの、
♪22才の別れ 風
<CM>
この世界に入るきっかけになったのは、フォーク音楽祭。
帯広予選は通った。
2次予選は、STVホールで。
この2次予選に、コマツハジメ氏と一緒に行って、審査委員長の竹田さんが、譜面を見ないで歌うと得点が上がる。
見ないで歌って見るから。
そしたら、2番と3番の詞を逆に歌ってしまった。
竹田さんに、2番と3番の詞が変わると、意味が変わる。
もう一度、歌詞カード見ながら歌いました。
これも通った。
そして、北海道大会。
5月9日、中島スポーツセンター。
総合司会が、かまやつさん。
5月8日、足寄から車で札幌に向かいました。
夜中に着いたんだけど、タクシーとぶつかってしまった。
夜中に事情聴取。
話がまとまらないので、明日の8時から。
明日は、フォーク音楽祭の北海道大会があって、10時からリハーサル。
では、道警から責任者に連絡させますから。
昼の12時位に開放されて、1台のパトカーが、中央署から会場まで先導してもらった。
たくさんのお客さんが待ってるところに、パトカー先導で入ってきた。
松山千春が出てきた瞬間、客は引いた。
プロのリハが始まっていて、そのリハの合間に、リハをやった。
♪港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ (ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)
<CM>
5月9日、10組のグループ。
2組が全国大会に。
全国大会に行けなかった。
帰り際に、竹田さんから、今度ラジオやらないか、今度連絡する。
今思えば、何もかもが楽しかった。
ゲストには、正やんもいたし、チューリップもいた。
かまやつさんは、その時のことはしっかり覚えてると。
♪サボテンの花 (チューリップ)
<CM>
フォーク音楽祭、北海道大会、昭和50年5月9日。
竹田さんがいつかラジオをやってみないか。
口約束。
足寄に帰って、親父の仕事を手伝っていた。
翌年、4月からSTVラジオで、サンデージャンボスペシャルが始まる。
その中で、15分、千春のコーナーを作るから、毎週2曲作ってくるように。
最初スタジオで、ギターをセットしてもらって、
「竹田さん、俺、しゃべり苦手ですよ」
「普段の千春くんのしゃべり方でいいよ」
毎週2曲づつ、足寄から通いながら歌ってました。
車だったり、夜行列車だったり。
帯広駅で、色んな子たちが、「がんばってね~」
帯広から4時間くらい。
足寄に帰っては、新しい曲を2曲作って。
その年の秋に、レコーディング。
当時、STVの上層部は皆反対。
竹田さんは、退職金を前借りして、頭を下げて、「旅立ち」で昭和52年1月25日デビューが決まった。
<CM>
人と人とが巡り合う。
その人が、自分の将来を決定づける。
その年の、8月8日、北海道厚生年金会館でコンサート。
27日函館市民会館。
竹田さんと一緒に、STVで待ち合わせをして行くことになってました。
俺は来たけど、竹田さんは亡くなった。
すぐに竹田さんの家に行って、その後は、わからない状態でした。
けどみんな、人とは出会うべきです。
出会いがあるからこそ、別れもある。
いつでも、竹田さんは俺を見守ってくれてると思ってます。
あなたの言うような立派な松山ではないかもしれないけど、
今夜もこうしてラジオで頑張っています。
ありがとうございます。
♪旅立ち (松山千春)
投稿: よしくん | 2020年8月23日 (日) 06時38分
よしくんさん
いつも有難うございます
竹田さんが生きていれば79才なんて月日の流れを感じます
千春さんは義理がたく昔からぶれないな~と思います
私はその昔、九州にいながらお父様の、とかち新聞を定期購読していたし、年賀状を出すと家族写真のポストカードをお父様が直筆で返して下さってました
そんな良き時代が懐かしいです
何とかコロナが収束して、安心して千春さんに会える日がくればいいなあ!と心から願っています
ここの場があって本当に有難いです
投稿: 千春大好き | 2020年8月24日 (月) 01時47分
千春大好きさんへ
本当に、もう松山千春の親類みたいですね。何とも羨ましい限り……😊父明さんの直筆の年賀状は家宝でしょうね。大切にされてくださいませ。素敵な記事を有難うございます。
よしくんさんへ
本当に、長い間、松山千春の事ばかりではなく、ファンとファンとの交流となる場を与えて頂いて感謝です。どうか、時節柄、ご自愛くださいませ。
投稿: ジュン | 2020年8月24日 (月) 08時59分
素敵な千春さんファンの皆さんのメッセージに、元気をいただきました。ありがとうございます。
投稿: リボン | 2020年8月24日 (月) 19時05分
よしくんさん
初めてコメントします。
【旅立ち】は聴きようによっては千春さんが竹田さんに
向かって歌っているようにも思えます...。
毎週、毎週NACK5の内容アップありがとうございます。
投稿: 穏やかな一日を見送れば夕焼け | 2020年8月26日 (水) 06時50分
8月27日竹田さんのご命日ですね。もう少しだけ、松山千春を見守ってくださいませ。合掌。
投稿: ジュン | 2020年8月27日 (木) 12時24分
竹田さん、千春さんと出会わせてくださり、本当に、ありがとうございます。千春さん、元気に、がんばっておられますよ。安心してくださいね。
投稿: リボン | 2020年8月27日 (木) 20時04分